喫茶店の耽り

頭の中で整理したり、しなかったり

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ようやく祖母の墓参りに帰省。いつも一人で行く喫茶店に、初めて二人で。席に座ると、目の前に並ぶ本に紛れて私の書いた本が置いてあった。気まずい。持参した詩集を開く。珈琲夜船。巻末のエッセイに、乾いた珊瑚になってしまった祖母、が書かれていた。

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コーヒーの焙煎本を渡されたので読む。船橋の好きな喫茶店が載っていて嬉しい。ハイエンドの器具や焙煎機を駆使する他の店と違って、職人の伝統を唯一受け継いでいる。格好つけてない。コーヒー店の主役が何かをわかってる証拠。笑いながら店主に本を返した。

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「ほら、ひさしぶりに貸し切りだよ!」目線を上げて見回す。閉店1時間前。貸し切り、必ずしもいい意味ではない。が。緊張の糸をほぐし、歪な仮面を脱ぎ、笑う。客は交流せずとも互いに空間を共有していて、常連客の言動は一見客を遠ざける可能性を高める。

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…「あなた、この本を書いた人?いい本を作ってくれてありがとうございました」こちらこそ、ありがとうございました。「マスターも体力的に大変なの、来てくれてどうもね」お世話になりました。Gilbert O'Sullivan『Alone Again (Naturally)』が流れていた。

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ご無沙汰してます!以前、本の取材させて頂いた酒井です。「ん?ああ、どうも」閉店されるんですね、びっくりしました!「50年やったんだから充分でしょ」いえいえ!でも健康が大事ですからね。「ええ、まあ」大変お世話になりました!「はい、どうもね」

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浦臼町は唯一のコンビニが最近休業した。と思って何気なく数年前に閉店した喫茶店の前を車で通り過ぎたら、なぜか開いてた。入店。甥が引き継いで復活、マスターも元気だ、と。レモンスカッシュ。過去に滞在した時間のおかげで、街を思い出すキッカケに。

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喫茶店の使い方が下手な客について。客は余暇があるから喫茶店へ行くが、店主は暇じゃない。まず社交場。空間の様子を窺いながら寛ぐスマートさが求められる場でしょ、本来。と、同調して客の文句を言っていると反射して自分に跳ね返ってくる。その繰返し。

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「ブネイコーヒーで時々シナモンロール出してるの知ってますか?」いいですよね、特別感があって。スパイスも合いそうなコーヒーだし。と思ったものの、まだ店に行ったことはない。なのに、北海道内でも店の痕跡を垣間見る。波紋のように、受動的に。

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東京のグラウベルコーヒー10周年ZINE『珈琲のこと2』に川口葉子が寄稿した油断喫茶試論を読む。氏も喫茶店のSNS消費についてモヤモヤを抱えてる。否定も肯定もせず、別角度で語る。それが油断の肯定。目の前の店員たちが談笑する姿に心底、安心する。

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座った席に松村圭一郎『うしろめたさの人類学』が。数年前に店主から勧められた。人類学は喫茶店にも適用される。うしろめたさを感じなければストレスから解放されるが、自主的な配慮の心すら失う。排他的な共同体になるのは避けたい。友達の店だからこそ。

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札幌の有名店が函館に支店をオープンしていた。複雑で一方的な長い付き合い。オーナーの著書の帯に「この世の中からカフェがなくなってしまったら、私たちはどの場所で夢想し、愛を語り、希望を見出したら良いんだ」と。私たちに、何をもたらしてくれている。

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夜の函館に着いて、街外れにある好きな喫茶店へ。いつもはカウンター席だが、今日は自分と向き合う。雨男である私は大雨災害により交通手段を手配できず、祖母の一周忌に間に合わなかった。夏の終わりを惜しむ虫の声を聞く。私が死んだら、思い出されるのか。