喫茶店で思い耽ったことを

頭の中で整理したりしなかったり

大衆



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一昨日、0時頃から4時までクラブに居た。札幌のプレシャスホールは雑念が極めて少ない。ナンパが多いチャラ箱なんかではなく、撮影も厳しく禁止しており、音に限りなく集中できる。大衆の目を気にしなくていい。

SNSで知らない店の愚痴がトラブルを起こしているのを見かけた。アルゴリズムがそれに関する投稿を表示させてくる。喫茶店でのワンドリンク制が果たしてマナーかどうかだった。もちろん店によって違うし、個人的には大した問題ではないと思った。クチコミでは客に好き勝手言われるのに、店が好き勝手言うと目立ってしまうのも気の毒な話だ。答えがない問題なので無視をしたかった。但し、それが近しい店でのトラブルだったのなら見え方が変わるだろう。決して対岸の火事ではない。

茶店を単なるコンテンツとして扱い続けられたのなら、いちいち悩むことなく精神的に楽でいられただろうか。表向きに活動を好奇心本位だけで続けられていただろうか。ドイツの哲学者アルトゥール・ショーペンハウアーの寓話『ヤマアラシのジレンマ』ではないが、所謂、人も親密になるにはリスクを伴う。喫茶店人間性に魅力を抱いた私が、今では喫茶店人間性を露わにすることを心配し危惧してしまっている。いまいち矛盾している。余計なことを言わないほうが賢い、とよく聞く。私はその余計な言葉に惹かれることも多い。でもトラブルになってほしくない。雄弁は銀、沈黙は金。言わぬが花。人はポジティブのみで形成されているはずがないのに、ポジティブばかり求めてしまう。ネガティブの解消法も人によって違う。互いに歩み寄る難しさ。戦う必要のあるタイミングと、戦わなくてもいいタイミング。コロナ禍を経て自分の潔癖性が確実に増したのを痛感する。昔から周りの目を気にして無難に生きていたのが仇となっている。みんな素直に、そのままで居れたらいいのに。

一昨日プレシャスホールで観たラッパーOMSBが歌っていた。

「誰にもなれないし 自分の普通をやる毎日

仲間外れじゃなくて そこに居なかっただけ。だろ?

素晴らしき人生 いっそもう振り切って

死ぬまで付き合うよ だってそうじゃん」

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