喫茶店で思い耽ったことを

頭の中で整理したりしなかったり

躊躇

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私は人が好きだが深い交友は得意じゃない。続く自信がないから。こちらから踏み出せずに自然消滅した関係も多い。喫茶店は、カウンター席や会計時に話さざるを得ないタイミングが生まれてくれるから、なんとか話すことができる。それで精一杯だ。社交不安障害といえば、そうかもしれない。相手と会話を3回ほど経て、ようやく尋常ではない汗をかく量が減ってくれる。本の取材のときもノイローゼになりそうなくらい苦しかった。SNSの分散も始まって疎遠関係が加速する。文字だけの交流ですら躊躇うようになった。インターネット上での私の存在感も程よく薄まってきただろう。比べて、喫茶店は私をただの一人の人間として存在を認めてくれている気がする。

きっと、本来はその程度の存在だったのだ。

中古レコード屋坂本龍一『B-2 UNIT』を買って聴いてみた。初めて坂本龍一氏の作品を買った。いかにも難解で尖っていて挑発的で売れる気が感じられない作品だが、調べてみたら国内だけで15万枚売れたという。坂本龍一氏を賛美する人々は、この音楽性をどう解釈しているのだろう。YMOや人物像などの背景抜きに咀嚼して飲み込める人はどれだけいるのか。いや、むしろ音符で表わせられない部分を味わうことに意味があるのか。この『B-2 UNIT』はYMOで多忙を極めた時期にアンチYMOとして当時のドロドロした感情をほぼ誰とも会わずに詰め込んだ作品。あらゆる感情も作品となり、その解釈性が価値を生む。

もっと解釈し合いたい、本当は。