喫茶店で思い耽ったことを

頭の中で整理したりしなかったり

矜持


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感情や記憶を切り取り、わざわざ別の形に置き換える芸術に興味がある。例えば、絵を描く場合。真っ直ぐな線を入念に想像しながらフリーハンドで描いてもほぼ間違いなく直線にならないが、描き手の今まで生きて育った個性が封入される。この時点で指先を通じて意思の無意識な変換が行われているという不自由で固有な面白さがある。言葉もただ思うまま発する肉声に比べて、文字をしたためる行為は脳内感情との差が絶対に大きい。時間、距離、温度、正確性の差。時にそれは、直接的な声よりも相手に直接的に伝わる場合がある。自分自身にもフィードバックする。内包された何かが受け手の中で更なる変換を起こし、心身に複雑な影響を与える。身の回りに溢れた人や物たちは変革を備え持つ。普通のような毎日は、これから待ち構えているドラマの布石に過ぎない。

初めてギリヤーク尼ヶ崎氏の演舞を観た。函館出身の92歳。一部では伝説の大道芸人と呼ばれている(ギリヤーク尼ヶ崎 - Wikipedia)。心臓疾患、椎間板ヘルニア、脊柱管狭窄症およびパーキンソン病になりながらも大道芸人を続けている。1年ぶりの札幌公演。大雨の中、200人近くの観客たちが傘を差して待ち構えていた。13時過ぎ、車椅子に乗せられた尼ヶ崎氏が現れ、ひたすらに三味線を掻き鳴らす。客たちは手拍子をし始めた。私は強く手拍子をするために、傘を閉じた。土砂降りを浴びながら、ひたすらに手を叩いて尼ヶ崎氏を鼓舞させようとした。満身創痍のせいか沈黙の時間も多く緊張感もあったが、時折見せるアクションひとつひとつに歓喜喝采が起きた。何をしているのか素人にはわからない、でも確実に何かが起きている時間を過ごした。マイクを通して言葉を発するも雨音に掻き消されて大半が聞き取れなかったが、渾身の演舞が私や観客たちに言葉にならない感動を与えたのは確かだ。そして最後の挨拶。尼ヶ崎氏の声が力強くなり、突然はっきりと私に聞こえた。

私は、日本一の大道芸人だと思っています。

皆さんも、誇りを持って、生きてください。

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