喫茶店で思い耽ったことを

頭の中で整理したりしなかったり

雑言

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実家に住んでいた頃は超テレビっ子だったが、今では滅多に観なくなった。今週たまたまテレビを点けると、ある違和感に気付く。TBSテレビ『音楽の日』やフジテレビ『FNS27時間テレビ』で見られた観客の気持ち悪さ。女性ばかり、同じ動き、わざとらしい歓声。あの風習はテレビ特有なのだろうか。とにかく引っかかった。あれでいいのか?予定調和のおかしさ。そういえばライヴとかでも大きな会場になればなるほど、客の動きが統一化されることが多い(フェスは別)。同じノリとか、同じ振り付けとかが苦手だ。おそらく、盆踊り的な一体感を欲する日本人の心が根底に刻まれてるんじゃないだろうか。結局、村社会文化が根付く日本には、同調を求めざるを得ない風潮が残り続けるんだろうか。実に日本人は集団主義的である。とか決めつけようと思っていたけど、東京大学人文社会系研究科の高野陽太郎教授がそれを否定していた(『日本人は集団主義的』という通説は誤り | 東京大学 )。自分の中で何かしら物事を決めつけようとしてしまう時こそ逆説を探すと面白い。自分の視野の狭さを思い知る。そうやって高くなりそうな鼻をへし折って覆し続けていく方が健全かもしれない。

TBSラジオ『武田砂鉄のプレ金ナイト』のゲストに私の好きな神田伯山が出演していたので聴いた。二人とも日々の違和感をネタにラジオでトークを繰り広げる、大人を信じていない捻じ曲がったタイプだ。私も無駄に群れず物事を俯瞰していたい人間なので違和感には気づきやすいタイプかもしれないとは思っていたが、知識や語彙が中途半端じゃ胡散臭い陰謀論信者みたいになるだけだなとか自分を卑下しつつ聴いていた。他人を腐す笑いが成立するのはテレビじゃ決して許されなくなった昨今。不謹慎と指摘されたら正義感押しつけ野郎たちによって炎上し、多くのスポンサーや周囲に迷惑がかかる。せいぜいラジオくらいでギリギリ成立する笑いに落ち着いた。インターネット上での罵詈雑言は、文脈も声色も背景も分からない切り取られ方をするからよくない。最悪、生死に関わるようになった。扱いには細心の注意が必要である。先日、某喫茶店で店主が「悪口は口で言うから悪口なんだ、それくらいでいい」と言っていた。その店主と私は口の悪さで仲良くなった。といっても、恨みつらみではなく興味の裏返しなだけの芯を食った小さな冗談(のつもり)。信頼具合で言葉のニュアンスが決まる。私の口が悪くなければ上っ面な関係で終わっていただろう。ありがとう、口。親しき仲にも礼儀ありだぞ。

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