喫茶店で思い耽ったことを

頭の中で整理したりしなかったり

遁逃

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大人になっても、捻れた性格が作用する。

茶店での写真撮影や、SNSで共有する行為を極力避けるようになった。いつからか喫茶店好きにとって当たり前なフォーマットになったから、無性につまらなくなった。スマートフォンに関しても「絶対にiPhoneは買わないぞ」と誓い、カメラについても「絶対にGRは買わないぞ」と思い続けている。否定している訳ではないし、特に深い意味はない。ただ雰囲気に流されたくない。集団意識やマーケティングから無駄に抗いたくなる性分なだけだ。いつも適当な癖に。そうやって遠回りをしたくなる。

茶店好きが喫茶店に執着する理由について、綺麗事抜きに話し合ってみたい。私が最優先にしているのは『喫茶店の一部になりたい』という希望なのかもしれない。街に馴染むためには目立たなくていい。インターネット上の喫茶店好きな人たちは懸命に何か活動をしている。何かを生むために。何かを伝えるために。何かを残すために。私は逃げているのだろうか。きっと逃げているのだろう。私にとって喫茶店は何かを演出したり表現したりする場所ではない。保身ばかりで何も考えられない。何も考えないと楽しい。今のところ。

土曜の夜、夢の中でも私は喫茶店にいた。干し芋を使ったケーキを食べて、店主に味の感想を伝えていた。カップの中にはコーヒーが少しだけ入っていた。いい夢だった。